洗礼堂に関する質問

洗礼堂 「ピサの斜塔」所要時間は…

登りたいと考えています。フィレンツェ⇔ピサの電車での行き方等は問題ないのですが「斜塔」に登り、周りの洗礼堂等も見て回りたいのですがどのくらいの時間を考えれば大丈夫でしょうか?「斜塔登り」はピサのHPで予約し

  「ピサの斜塔」所要時間は…の詳細


洗礼堂 フィレンツェ半日自由行動の過ごし方

あります。3日目 ベニス→フィレンツェへ移動4日目 フィレンツェ半日→午後フリー(フィレンツェ泊)この半日観光はウヒィッツイ美術館、サンジョバンニ洗礼堂(外観のみ)、ドゥオモ、ミケランジェロ広場、ベッキオ宮殿(外観)、ベッキオ橋(車窓観光)と記載されています。

  フィレンツェ半日自由行動の過ごし方の詳細


洗礼堂 ピサの斜塔は、世界遺産?

ピサの斜塔は、世界遺産でしょうか?今、H.Pで調べましたが、"ピサのドゥオモ広場"は、載っていましたが斜塔は、見当たりません。子供に聞かれ答えられず困っていますご存知の方、宜しく御願い致し

  ピサの斜塔は、世界遺産?の詳細


洗礼堂 ピサの斜塔の建築理由

ピサの斜塔の建築理由。何のために建てられたのか?と教えて下さい。よろしくお願いします。

  ピサの斜塔の建築理由の詳細


洗礼堂 イタリアに詳しい方、教えてください。

こんにちわ(^-^)私は7月にイタリアに行こう思っています。イタリアは今回が二回目で、前回はフィレンツェ1都市にいってきました。今回はフィレンツェとベネツィアの2都市行こうと思うのですが、必ず行った方がいいような

  イタリアに詳しい方、教えてください。の詳細


洗礼堂旅行記

奇跡の広場の傾いた斜塔(by Mikaさん)

洗礼堂
建築が傾いてしまったために、世界的に ものすごく有名になった建物といえば、もちろん ピサの斜塔(Torre di Pisa)ドゥオーモの鐘塔として 1173年に建て始めたんだけど、地盤が 弱かったので 南に傾いてしまったのだ。

ピサの斜塔が傾いているのは世界の常識。でも、百聞は一見に如かず、ということで 実際に どれぐらい 傾いているのか 見に行ってきた。

ツアーエスコートとして他の観光客と一緒にバスに乗りこむ。
ピサの斜塔が建っているドゥオーモ広場(Piazza del Duomo)は バスでは近づけないので 少しはなれたところでおろされる。おそらく違法であろうと思われる 路上販売のおじさんたちを横目に 広場を目指して さっさと歩いていく。すぐそこに 見えている斜塔なんだけど、思ったより距離がある。ようやく 人ごみを抜けて ドゥオーモ広場が目の前に広がる。

ピサの斜塔を全体像を見て、最初に思ったのは「思ったよりも 傾いている!!!」
傾斜を防ぐために 修復作業が続けられているんだけど、それでも 毎年 少しずつ傾き続けているんだとか。前に写真で 見たときより、実際 もう少し傾いた、ということなんだろう。

遠近法の利用で ピサの斜塔を支えるようにして 写真を撮っている人がたくさんいた。

斜塔のふもとまで 来てみると 地盤沈下している様子がよく分かる。ワイヤー(?)みたいなもので 補強してあるのが なんともリアル。ちゃんと そのすぐそばには どういうことが原因で こんなに傾いてしまったか、などが 詳しく説明された看板がたっていた。

ところで、世界遺産にも登録されている このドゥオモ広場には ピサの斜塔(鐘楼)だけじゃなく、洗礼堂、大聖堂(ドゥオーモ)、墓所回廊も建っている。(実は来るまで 知らなかった・・・)どの建物も すごく立派で印象的だ。それから 付属美術館では ドゥオーモの中にあった彫刻なんかが 展示されている。

お土産物やさんが たくさん 並んでいるのが 観光地らしい。

広場を満喫したところで バスに戻る途中、路上に店を広げているおじさん、お兄さんたちが 機敏な動きで 荷物をまとめはじめた。なにかと思えば、おまわりさんが 見回りに来たようだ。コピー物を売っているのは もちろん、ここで お店を開くのは 違法なんだろう。ただ、現行犯じゃないと 逮捕できないのか、明らかに商売をしている人たちを 捕まえることなく、おまわりさんは ただ 歩いているだけだ。

斜塔にも感動したけど、このおじさんたちの手際のよさにも 感心してしまった。

【旅行時期】2006/06/13~2006/06/13
【エリア】ピサ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】Mika

2008-9 イタリア学会旅行13 フィレンツェ1(by SUOMITAさん)

洗礼堂
9/13 0845のバスでサンマリノを立ち,Riminiに,0953発の普通列車でBologna,1146発のES(なんといっぱいで立席,30分遅れ)でFirenzeに戻った.1310ごろに昼食,サンタノヴェッラ教会,洗礼堂,Doumo,ジョットの鐘楼,メディチ家礼拝堂をみたあと,1530にホテルへ,小休止の後,共和国広場,Signoria広場を経て,Vecchio橋を通り,Pallatina博物館見学.ここで1830になるが,さらにミケランジェロ広場に向かった.午後だけとしてはFirenzeの50%程度の地域を回ったと思う.ホテルはHotel Corona D'Italia.1泊22500円と少々高いが,今度は5階のバス付ルームに泊まった.チェックインが早かったせいか,とてもいい部屋(たぶんスイートルーム)であったが,不覚にも(たぶんホテルにいる時には疲れていて)写真を撮るのをてっきり忘れてしまった.割と親切なホテルだ.ベッドはダブルで広かった.確かに文化財の宝庫だ,すごいところと思った.しかし町並みは平凡.

【旅行時期】2008/09/13~2008/09/16
【エリア】フィレンツェ
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】SUOMITA

フィレンツェ再訪*遊路(ユーロ)半突きの旅(十二日目の2)(by たぽじいさん)

洗礼堂
6月15日(日)その2

 私の乗った列車は14時50分、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノッヴェラ駅に着いた。結構大きな駅だが人の多い事、さすが国際的な観光地だ。今夜の宿は決まっているのでキップでも買おうかと思いキップ売り場を探す。広いコンコースにあったが大勢の人が窓口に並んでいた。明日の宿泊をここフィレンツェにするかローマにするか決めかねていたので、キップをかうのをやめて駅を出て宿に向かった。

 駅の東側から出て南に向かい左に折れてナツィオナーレ通りを北上する。狭いが人通りの多い道だ。最初の交差点で右に曲がる。ファエンツァ通りというが工事中であり良い目印になると思った。すぐ三叉路があり左に曲がるとすぐ先に中央市場。はじめ市場と気付かず両側にいっぱい露店があり賑やかな所だなと思っていたら、露天の隙間から市場の建物が見えてわかった。
 市場の北の角で右折し中央市場広場を横目に行く。広場の北側はリストランテやらケヴァブ屋などが並んだ食い物の店ばかり。広場の角を北に短い通りを行くとTの字でタッデァ通り。右に曲がってサン・ガッロ通りに出て北に向かい最初の交差点を左折してグエルファ通りに入った。そして最初の交差点が宿のあるレパラータ通りのはず。角の標識を恐る恐るみるとそうでありほっとする。まず左折して奥行きの短いほうから当たる。突き当りのタッデァ通りまで行くがホテルは無い。こんどはグエルファ通りの向こうだ。番地を見ながら北に進む。ここらは古い感じの街で歩道は狭く、犬の糞がいっぱい落ちていて、番地に気をとられていると踏みそうでかなわない。北に行くほど番地が大きくなり宿に近づいているとは分かっているが、とうとう次の交差点まで来てしまった。通りを渡ると違う通りの名前になっていたらと不安になる。よかった、同じ名前だ。さらに進むとようやく目的の57番地があった。

 いくつかの表札があって、B&B「Fr○○○ Re○○○」の名前があって一安心。宿の名前の横に「この番号に電話せよ」というメモがあった。「電話かぁ」と思い表札のボチボチみたいなものを押してみると、奥の方でジーッと言う音がした。するといきなりドアが開き品の良い中年男性が顔を出した。
「今晩予約した日本の”たぽじい”です」と言うと「オウ、プリーズ」と招き入れてくれた。小さな部屋に入り机を挟んで座る。プリントアウトしたものとパスポートを出す。若い娘さんがやってきてそばに立つ。
 駅から近いしと思い、部屋も見ないうちに決めるのはと思いつつ「明日、もう一日泊まりたい」と言うとOKと言う返事。しかし、支払いは現金と言う事で手持ちがそんなにないので、明日のこの時間に100ユーロ支払う事に決めた。
 その娘さんが案内してくれた。ついていくと建物を出て隣の56番地のドアを開けると目の前に上にあがる階段のみがあった。一階が高いせいか長い階段である。上がりきって二つ目が我が4号室の部屋。日本人だからまた差別されたのかなとちらっと思った。
 部屋は狭かった。北に窓があって下は建物に囲まれた狭い通路。バスルームはそこそこであるが部屋に付いているだけでもよしとしよう。この宿はB&BでVenereというチェーンのもので、予約したローマの宿もここのB&Bである。どちらも一泊50ユーロである。

 娘さんに外のドアの鍵と部屋の鍵をもらう。しばらく休んでから貴重品を全部大リュックに詰め、ワイヤー錠を掛けてスチームの管に巻きつけた。外のドアが開かないと心配で開け閉めを何度もテストする。どうも動きに信頼を置けないような鍵で不安である。
 これから駅に行ってあさってのローマ行きのキップを買い、切り絵師「俊寛さん」の知人であるKさんのアルバイト先のリストランテに行き夕食をとる予定。Kさんとは名古屋のデパートでの「イタリア・フェア」で紹介されていた。
 そのリストランテは「ベ○○ール」といって、イタリアのミシュランといわれる「ガンベロ・ロッソ」というガイドブックにも載るほどの店と、日本語HP(Kさん作)で知った。しかもリーズナブルなお値段で「お一人様 1万5千円より」という。びっくりしたがこういう機会でもないと、そんな世界は体験できないと思い出向くことにしたのだ。半分は日本人に合って話がしたいという気持ちもあった。

 来た時の道を用心深く逆にたどって駅に行く。プラハで迷ってからすっかり臆病になってしまった。キップ売り場に行くと着いた時とと変わらない列の長さ。とりあえず時刻表を探すが無い。表示するケースはあるのに時刻表が張ってないのである。明日からダイヤが変わることは知っていたが、早めに外してしまったのか? なんでこんな時期にダイヤ改正をするんだとトレンイタリアにむかっ腹が立つ。

 ホームの方に行ってみると時刻表はあった。ほっとする。午前中にローマに着く列車の時刻をメモする。どれにしようか決まらないし列は長いしで明日買う事にして「ベ○○ーレ」に向かう事にした。駅の地下通路を西に向かい地上に出る。地下通路を歩いていると何故か落ち着く。やはり日本人かなと思ってしまう。

 広い道を横切って行きスカラ通りを横切ると、それが偶然ベルコールのある通りであった。すこし場末の感じのする通りであるが、ベルコールは入るのが躊躇われるようなシックで高級感のある店であった。店は開いていたが準備中という感じであった。給仕の格好をした若い男性と私服の中年男性がいて、「Kさんの友人ですがお会いしたい」と言うと給仕さんが「彼女は午後10時からの勤務です」というので「後でまた来ます」というと、「食べていけ」と勧められた。何とか「それではKさんに会えないから」と断り外に出る。
 地図を見るとここからアルノ川までは近そうなのでまっすぐに向かった。ベルコーレからまっすぐに行くとA・ヴェスプッチ橋に出た。上流を見ると幾つか橋が重なっている。遠くにポンテ・ヴェッキオも見える。やっと以前目にしたものが見えて何故かほっとする。

 上流に向かって岸辺の道を歩き出す。すぐ右手に川にせり出したテラスみたいなのがあったので、写真を撮ろうと足を向けると、ベンチが向かい合わせにあって、片側に老女が3人座っており、向かいにはアベックがひしと抱き合って、情熱的なキスをしていた。すぐ向かいに人がいるところでよくやるなぁと思ったが、老女達も平然としていた。

 お邪魔しないようにすぐまた道路に出て歩き出す。横を車がかなりのスピードで走っていく。次の橋も過ぎどんどん行くとトリニタ橋である。大分ポンテ・ヴェッキオが近づいた。ここからは歩道が狭くなりすれ違うのが困難になる。日本人の気の弱さでついつい前から人が来るとよけて車道に降り道を譲る。しかし車は平気で傍をぶっ飛んでいく。危ないので建物側に沿って歩く。

 すると銀行があり壁にATMがあった。あす宿泊費を現金で払わなければならないが手持ちが無い。いよいよATMで引き出さなければならなくなってしまった。
 まず、辺りをそっと見回す。怪しげな人はいないというか人は川側の歩道を歩いている。ポケットからそっとカードを出し、まさに恐る恐る差し込む。訳のわからない画面が出て慌てるが「コンティニュー」を押すと、言語の選択画面になり「English」を押す。画面に幾つかのユーロ金額が表示されたので160ユーロを押すと、何かを入力せよと表示されたので、暗証番号だろうと思って入力するが、お金もカードも出てこない。「ウワァ困った!!」とパニックになりそうになる。先程近づいてきた母娘がATMを待っているみたいで、少し離れたところで立っていた。思わず「プリーズ トウト ミー」と訴えていた。母娘はすぐ寄ってきて画面を見て何か押すとカードが出てきて、続いて160ユーロも出てきた。地獄に仏とはこの事かと何度も「グラッツィエ」と礼を言った。
 
(自分の口座から引き出そうとしたのだが、キャッシングであった。帰国後、数日してカード会社に電話して「すぐ返済したい」と言うと、当日の返済金額と振込み口座を教えてくれた。口座引き出しの手数料を考えればそんなに割高でもなかった。)

 ATMを離れポンテ・ヴェッキオに近づくと、石の装飾品(額や絵)の店などがあった。俊寛さんが「是非、立ち寄って」といくつか工房を教えてくれたが、もう、探して訪なう元気も無い。折角教えてくれたのに申し訳なく思った。

 ヴェッキオ橋を渡る。初めてこの橋を渡った時は嬉しかったな。さすがに二度目はそんなに感動が無い。渡りきったところに前回「グラニータ」をはじめて食べた(飲んだ)店がまだあった。内装が変わっている。この前は派手目の美人さんが同僚とのおしゃべりを続けながら対応してくれたが、今日はおじさん。前と同じ「コーラのメディウム」を頼む。3ユーロ。カップの中のグラニータに突っ込んだスプーンもストローも立っている。

 グラニータを舐めつつ橋を戻る。前回は来た道をそのまま戻りヴァザーリの回廊の下を歩き、集合場所のウフッツィに帰った。橋からそのまま真っ直ぐ行けば良かったと後悔した覚えがあったので、今回は真っ直ぐ通りを行き最初の小路を右に曲がった。ここらは例の爆弾テロのあった所らしい。狭く人通りの少ない小路を抜けるとウフッツィの中庭である。柱の中に立っているダ・ヴィンチやミケランジェロの像を撮る。そして4年前とおなじくウフッツィの回廊の石のベンチで休憩。あの時はツアーゆえ何の心配も無く観光に没頭できたが、この旅は常に不安と心配がつきまといなかなか観光気分になれない。

 レプリカながら前回見落としたダヴィデ像をしっかり見て、シニョリーア広場の北西角からカルツァイウォーリ通りを北上する。コルソ通りを左折し見たかった共和国広場へ。またカルツァイウォーリ通りに戻ると人がかたまっている。アコーディオンの軽快な音色が聞こえてくる。人の間から覗くとまだ子供といっていい少年がにこにこしながら弾いているのであった。その表情は本当に弾くのが嬉しくてたまらないとも、自分の演奏を聞いてもらえて満足と言う風にも見られた。とても子供とは思えないほどのテクニックと思えた。これだけの人が集まるのがうなずけるものであった。
 軽快な音楽に少し気分を持ち直しさらに北に向かう。右手にドゥオーモを見て左に洗礼堂を見る。「天国の扉」をチラッとみて通り過ぎる。フィレンツェの、いやイタリア有数の観光名所にも食指が動かない。そうとう重症だな。

 リッカルディ宮で左折しサン・ロレンツォ教会あたりで右折した。ここらに来ると観光名所はいくつかあるけれど、ウフッツィやシニョリーア広場と比べると場末という感じがする。古めかしい感じがするのであるが、古いものが好きなのになぜか心惹かれない感じがするのである。
 
 「1ユーロショップ」があったので水とコーラ(イタリア製?)を籠にいれレジに行き2ユーロ出すと、レジのお姉さんが何か言って1ユーロ返してくれた。

 宿の入口で恐る恐る鍵を差込み回すとカチリと音がして開きほっとする。軽く夕食をとるため少しの現金だけ持ってまた宿を出る。リストランテが多い中央市場広場に向かう。途中いくつかのインターネット屋があった。午後ここを通った時は宿の通りを探すのに精一杯で気付かなかった。
 広場にケヴァブ屋がいくつかあった。旅行記などでケヴァブのことをよく読んでいたので試してみようと思い、人の良さそうな店員のいる店に入る。かたことの英語が通じた。店員は素早く色んな物を丸めた紙に詰め込み作ってくれた。作りながら「日本人か?」訊くので「そうです」と答えたが何なんだ。料金は3.5ユーロ。
 
 部屋にもどりスチームにくくりつけたワイヤー錠を外そうとしたが取れない。ちゃんと3っつ数字を合わせたのに開かない。鍵を掛けたとき違う数字でセットしてしまったのかもしれない。持ってきた十徳ナイフのヤスリで削る覚悟をしたが、仮に違うセットをしてしまったなら、最初の数字に近いものと推察し1っ個目の数字を1つずらすとあっけなく開いた。運が良いのか悪いのかわからんなぁと思った。

 Kさんに会いに行くならば外の様子を見てこなくてはと思い宿を出る。人通りは少なく怪しげな人がちらほら見える。まだ充分明るいが9時半頃出るともう暗くなっている筈だし、帰るときが心配である。折角の有名リストランテの体験を期待したが断念した。
 
 部屋に戻りケヴァブを食す。あの店員「日本人か?」と訊いてきたが、スパイスの加減があって訊いてくれたのか、控えめでちょうど良かった。ヨーグルトみたいなのもが掛かっていて、肉もあるが野菜も多く栄養バランスが良さそうだ。
 
 洗濯しながらシャワーを浴びる。バスタオルがヴィデの上に置いてあったのにはびっくり。西洋人はトイレと風呂を一緒の部屋にするせいかこう言う事に気にしないのかな。

 ベッドに入るが寒い。最初から置いてあった毛布を掛けてちょうど良かった。衣装タンスの上に小さなTVがあったが電源が入らない。調べるとコンセントが抜いてある。右手をいっぱい伸ばしてやっと届く位置に差込口があり苦労して差す。分かりもしないがニュースを見る。アジアのニュースは全く無い。繰り返しサンタ・クローチェ教会前の古式サッカーの模様をやっていた。ああ、この時期やっているんだと思ったがそれだけ。相当好奇心が磨り減っているな。10時半すぎ自分としてはかなりの早寝だがすぐ眠ったようだ。
 
 



【旅行時期】2008/06/15~2008/06/15
【エリア】フィレンツェ
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】たぽじい

憧れのラヴェンナ(1)*遊路(ユーロ)半突きの旅(十日目の1)(by たぽじいさん)

洗礼堂
 6月13日(金) 

 5時半、自然に目が覚めた。昨夜は奇怪な音に悩まされたが、くよくよと失敗の事を考えずに済んでよかったのかもしれない。目覚ましは6時20分にセットしてあったのでそのまま横になってウトウトする。6時、起きてTシャツとパジャマのズボンのままトイレに行く。この宿にきてまだ一度もトイレやシャワーで他の人とがち合う事は無かった。

 用意して出掛ける。朝食は駅前のマックでテイクアウトするつもりだったが、行ってみると開店は10時からであった。

 駅に入りラヴェンナ行きの時刻を確認しキップ購入カードを作り窓口に並ぶ。15分もかからず買えた。往復キップを頼んだのだが往きと帰りの一枚ずつをホッチキスで止めてくれた。7.55ユーロ×2。購入カードに乗車日や発時刻、着時刻を書いていたが意味が無い事がわかった。(指定が必要なのは別)

 往きのキップに忘れずに刻印する。他の人を観察していると刻印した文字を確認し、汚かったり薄かったりしていると、再度刻印したり機械を替えたりしていた。
 帰りのキップも刻印した方がいいか迷った。主旨からいえば乗るときにすればよいと分かっていても、疑心暗鬼になっていて不安であった。

 駅構内の「SERENISSIMA」というバールに入り、いきなりカウンターに行ってレジに行けと言われた。レジに並びカプチーノとクロワッサンを注文する。2.1ユーロ。レシートをカウンターのお姉さんに渡すと、クロワッサンを紙ナプキン2枚で綺麗に持ちやすいようにしてわたしてくれた。お兄さんが「カプッチョ!」と言って目の前にカップを置いた。テーブルに運び食した。

 早めにホームに出る。7時33分発のボローニャ行きがフェッラーラに停まるとわかり乗り込んだが、フェッラーラから先の列車に乗れるかわからないので自重し降りた。(よく考えれば先の列車がわからなければ、予定の列車が来るのを待てばよかったのだ)

 8時11分、予定の列車で出発。出口脇の席で窓側に座る。向かいは白い服を着た修道女で東南アジア系の美女。一応彼女にフェッラーラ停車を確認した。曇り空のなかを電車は田園地帯を走って行く。時折丘陵地帯に入るが真平らな平原を進んでいく。

 9時02分、無事、フェッラーラに到着。大きな駅で不安であったが案内もわかり易く、1番線にラヴェンナ行きが停車していたので乗り込む。二階建て電車があったのでそちらに行ってみる。普通の列車の三分の一くらいの長さだ。他には十代と思われる賑やかな3人娘が乗っているだけ。

 9時15分、発車。フェッラーラまでは検札が来なかった。そればかり気にしていて落ち着けなかった。来ないで欲しいという気持ちと、早く来てこれで良いか確認したいという気持ちがない交ぜになっていた。

 9時26分、ついに検札が来た。ドキドキしながらキップを差し出すと、車掌は何事も無くハサミを入れて行ってしまった。ほっとする。
 9時42分、Portmaggiore,、9時51分、 Argenta、9時57分Lavezzola、10時03分、Voltana、と通過。

 10時10分、階段を下りて広いデッキの隅のトイレに行く。盗難予防のためにリュックを担いでいく。用を足してドアを開けると、前に三人娘が手に荷物を持って立っていて、私の方を見て不安げに「ラヴェンナ!?」と言う。「まだだ」とジェスチャーで答えると、笑いながら席に戻っていった。
「おいおい、外国人に訊くなよ!!」と言いたい。娘たちはもう席に座り屈託も無く騒いでいる。

 10時18分、Mezzano、次はラヴェンナだ。よく考えれば終点が下車駅だからのんびりしていてもいいのに、不安があったし娘たちのことがあって気を張ってしまっていた。
 10時25分、駅の手前にある表示にラヴェンナとあった。娘たちは気にもせず騒いでいる。「ラヴェンナ!!」と叫んでやったら、大慌てで降りる用意をしだした。
 10時28分、ラヴェンナ駅5番線に入線。娘たちはなぜか鍋の箱を持っていたが、突然またギャーギャーと叫んで車内に乗り込んでいった。忘れ物でもしたのか。

 教会の共通入場券が欲しくて、駅構内の案内所らしきところに並ぶ。職員は中年男性でどうみてもトレンイタリアの案内所みたいだ。用件が終わったおじさんがしばらく世間話をしてから窓口を離れる。それでも皆じっと黙って待っている。大分待って二番目になった時、前の綺麗な女性に「この案内所はトレンイタリアのみですか、観光案内もしてくれますか」と訊いてみると「してくれますよ」と教えてくれ安心する。順番がきて「共通券が欲しい」と言うと、首を振って地図を一枚呉れてお終い。
 無駄な20分になってしまった。地図は4トラの「shinesuni」さんの旅行記のなかの紹介サイトから詳しいのを取り出して持ってきているのだ。

 仕方なく駅の外に出る。駅前にはバスターミナルがあった。韓国か中国人か一団のグループがバスに乗り込んでいる。郊外のクラッセにでも行くのかな。これまで自分の力量が無いせいで市内交通バスには全く乗れないでいた。

 挑戦しようとしてキップを買おうと思ったがバス会社の建物は閉まっている。仕方なく地図を頼りに駅から西へと割りと近代的な建物が続くファリーニ通りを行く。左は公園で古そうなレンガ造りの教会がある。思ったより大きな街である。ローマ通りに出て左に折れた。しばらく行くと「サンタッポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂」があった。

 キップ売り場に行くと、何の事は無いここで共通券が買えたのだ。10.5ユーロ。
中に入るとがらんとして何も無い。しかし四方の壁という壁にモザイクが施されている。
 アーチ窓の下には聖人がズラリと並んでいる。金と緑と白を基調にして素晴らしい世界が広がっている。一部修復のためか囲われているが、それを補って余りあるばかりの美しさである。夢中で写真を撮る。そして自分の目にもしっかり焼き付ける。隅の礼拝堂もちょっと撮るがすぐモザイクに戻る。結局70数枚も撮ってしまった。

 日本でいえばようやく大和に一大勢力が出来た頃に建てられたものが残っている事。それがモザイクという劣化しにくいもので残されている事で、1500年後の我々も眼にする事ができるわけで感嘆の念を覚えずにはいられない。逆に考えると法隆寺が木造ながら千数百年も守られている事にも驚く。
 併設の土産物売り場には魅力的なものがいっぱいあったが、重いし割れるしで断腸の思いで諦めた。

 ヌオヴォから南に歩きテオドリック館で西に曲がった。まっすぐ行くとカドゥッチ ペル ラ リベルタ広場で、広場の西北角から西へ行くと共通券で入れる「Muzeo Arcivescovile (大司教博物館)」があった。モザイクの聖人の頭部や絵画などが展示されていた。見終わって階段を下りていくと館内を通り抜ける道があり、そこに出ると声をかけられた。見ると通路の中庭側に工事のトラックが止まっていた。階段を1,2段戻り退避するとトラックは通路の壁から5センチくらいのところを、なんの躊躇いも無く普通に走り去って行った。どうみても通路幅ぎりぎりの大きさのトラックだったが、うまいものだと感心してしまった。

 隣の教会に入ってみる。どういう教会か知らずに入ったが、立派な絵画や祭壇がありイタリアの奥深さに感心した。(後で調べたらドぅオーモであった。なら当たり前か)

 すぐそばの「オルトドッシ洗礼堂」に行く。小さい建物だが内部には隙間もなくモザイクが張られている。ここは色彩が豊富でちょっとごちゃごちゃしている。円形の建物に沿って所々にベンチが置いてあるので、そこに座ってオペラグラスがある事を思い出し、リュックから取り出し覗く。大きくして見るとモザイクの一枚一枚が見え、気の遠くなるような作業だったと思わずにはいられなかった。
 
              (END)

【旅行時期】2008/06/13~2008/06/13
【エリア】ラベンナ
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】たぽじい

憧れのラヴェンナ(2)*遊路(ユーロ)半突きの旅(十日目の2)(by たぽじいさん)

洗礼堂
6月13日(金)その2

 オルトドッシ洗礼堂(ネオニアーノ洗礼堂ともいう)から北に出て左に曲がりケネディ広場を過ぎて、右に曲がりC・カッタネオ通りに入る。まっすぐ行くとサン・ヴィターレ教会の塀に当たる。塀に沿って西へ行くと入口があり広場があった。キップ売り場から中に入ると綺麗な中庭があった。これという理由は無いが何か癒される感じがした。ニ、三枚、写真を撮って聖堂に向かう。また、戻ってこられると思ったので。
 
 回廊から聖堂に入っていくと、天井が高く綺麗なアーチやドームが見えた。そして主祭壇とおぼしき方には人が大勢いた。上を見るとここも金と緑と白が主体であるが、よりきらびやかな美しさで声も出ない。一番良いところにアメリカ人の団体がいて、ガイドの説明を聞いていた。昔は日本人がこうだったんだろうか?。この旅ではアメリカ人の団体が目だっていて、たいていガイドが付いていて説明を聞いていた。

 ベンチに座って休憩しながら見上げる。凄い!としか言いようが無い。これを見ることが出来ただけでこの旅に来た甲斐があったと思ったくらいだ。団体が去ってからじっくりと写真を撮り始めた。西暦548年に完成したというが、良くぞ残っていてくれたと感謝したくなる。

 しばし、時間というものを思考(と言うほどの物ではないが)し、薄暗い聖堂の中を見回し、ぼーっとしていた。

 同じ敷地内にある「ガッラ・プラキディア廟堂」に行く。小さな廟堂で中に入ると暗くて(入り口にカーテンがしてある)、上方の琥珀のような窓からの僅かな光のみで見るモザイクは、また一味違うものである。ここは紺色が主体でこの暗さにぴったりであった。外に出るとうす曇の昼の光が眩しく感ぜられた。中庭に戻りたかったが順路があって引き返せなかった。

 サン・ヴィターレを出るとすっかり疲れてしまった。もうサンタポッリナーレ・イン・クラッセまで行く気力も無い。どうしても見たければタクシーで行けるのだがもうだめだ。
 
 駅までの途上にあるアリアーノ洗礼堂を見て帰ろうと決める。先程駅から歩いたファリーニ通りと繋がる商店街の間の道を行くと、隅にひっそりと立っていた。ここは無料でボランティアの女の子が二人受付にいた。本当に小さな洗礼堂でここも金と緑と白が主体。さっぱりとしていて一番親しみがあった。ボランティアの子にお礼を言って出るとにわか雨。傘をさしていくとすぐにやんだ。

 ラヴェンナ駅にマックがあったので昼食。6.4ユーロ。カード不可で現金払い。朝の計画では17時03分の電車(ボローニャ経由)で帰る予定であったが、14時38分発のフェッラーラ行きに乗る。早く帰ったらパドヴァを観光しようと思った。フェッラーラまで結局検札は来なかった。うとうと眠りながら過ごした。
 予定と違う電車に乗ったのでフェッラーラからパドヴァへの電車が無かったら困ると不安になっていた。
 ホームで不安になりつつ待っていると、遠くからコトコトと音がしだして、あっという間にすぐそばをユーロスターが物凄い勢いで通過していった。風圧で飛ばされそうな勢いであった。なんの注意を喚起するアナウンスも無かった。
 
(フェッラーラが世界遺産の街とは知らなかった。世界遺産に格別な思いは無いが、帰国してみた本には素敵な建物がいっぱい載っていた。多くのものを見逃した旅だったなと思った)


 パドヴァ行きが入線してきたので乗り込む。一安心。17時27分パドヴァ着。明日のキップを買うつもりでまず有料トイレに。便通が不規則な私であるがこの旅に出てからは順調であったが、ここで始めてホテル以外で大をした。持ってきた便座除菌クリーナーが始めて役に立った。0.6ユーロ。

 キップの窓口に行くと珍しく誰も並んでいない。慌てて購入カードを書きヴェローナ行きのキップを買う。4.95ユーロ。カードは5ユーロ以下の場合は使用不可との事であった。

 駅前のマックで今日はテイクアウト。5.5ユーロ(カード)。宿近くのバールで0.5リットルの水を買う。1.2ユーロ。

 18時10分、宿に戻る。部屋は整理してあった。少しポテトを食べシャワーが空いてているうちにと思い、シャワーを浴び頭も洗いヒゲを剃る。
 机に向かい日記を書き、地図をひろげ今日歩いたコースをなぞる。床がタイルのせいか少し冷えてきた。8時を過ぎている。衣装棚から毛布を引っ張り出し腰に巻く。
 そういえばまだ夕食を摂っていない。もうマックは冷え切っていた。

 今日、サン・ヴィターレ教会で初めてデジカメの電池が無くなった。毎日300枚位撮っているのに驚異的な長寿命だ。電池を交換してしてすぐカードもいっぱいになり、これで4枚の2Gのカードを使いきり、あとは4Gのカード3枚。4Gのカードを入れて画像が残っていたので確認すると、カードのテストで撮った家族や猫のデブ君が写っていて少し里心がついてしまった。

 折角パドヴァに二泊もしながら、サンタントニオ聖堂も見ず、予約してないから仕方ないけれどスクロヴェーニ礼拝堂にも行けなかった。市内交通を使いこなせないのが情けない。


【旅行時期】2008/06/13~2008/06/13
【エリア】ラベンナ
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】たぽじい